よもやま通信 番外編「村人たちが教えてくれたこと」

In 802プロジェクト通信 インド「水・森・土・人 よもやま通信 第2部」 by master


11月に入り、朝晩の冷え込みが一層厳しくなる。前回のよもやま通信から約3ケ月、流域管理のプロジェクトは終了し、きっと今頃村人たちは米や野菜の収穫 に向けて日々の農作業に精を出しているに違いない。日本では、夕方5時を過ぎると、辺りは真っ暗、四季の移り変わりを感じる。
今回のよもやま通信2部番外編は、2013年からプロジェクトに参加した筆者が、2年前に初めて村を訪れたときからの記憶をたどりながら、綴っていきたいと思う。


目次

1.初めての村
2. 指導員って誰?
3. 農業カイゼンに向けて
4. 地域の手本は世界の手本

 

1.初めての村

2013年7月初旬、筆者が初めて訪れた村は2007年のフィーズ1から流域管理事業に参加しているゴディヤパドゥ村だった。ゴディヤパドゥ村までは研修センターから車で30分ちょっと、インド着任から1ケ月、いよいよやってきた村への訪問に心が踊る。村に到着する前、近くの祠で別の村の人たちと待ち合わせた。しばらく経つと、10人くらいの村人たちが合流した。そのなかの3人は帽子を被っている。一行がゴディヤパドゥ村に到着すると、数名の村人たちが迎えてくれた。
キョーコさんラマラジュさんから、「ソムニード(旧団体名。2014年よりムラのミライに団体名変更)の新しいスタッフ」と村の人たちに紹介してもらい、スーリーと一緒に森に向かう村人たちについて行った。すぐに帽子を被った青年が話しかけてきた。彼はポガダヴァリ村のチャンドラヤ、テルグ語がわからない私は、彼が言うことはよくわからなかったが、だいぶ人懐っこいヤツだということだけはわかった。山道を行くと、ゴディヤパドゥ村の人たちが「石垣」のことや「ため池」のことを色々と説明している。他の村人たちは興味深そうに話を聞いていて、一人は懸命にノートをとっている。私は村人たちが語らう様子を写真におさめた。これが筆者の、村での初めての仕事だった。
「この村人たちは一体何のために来たのか?」「どこからきたのか?」「この帽子を被った人たちの役割は何なのか?」
実際には、村に入る前に当日の視察研修について聞いているはずなのに、なんだかよくわからない。
「そういえば、帽子を被っている人たちは指導員と呼ばれている人たちだ。でも指導員の仕事って何だろうか?それに帽子を被っていない人たちはどこの村の人なんだろう?」
色々な疑問を浮かべながらただ山道を行く。パイナップルが生えているのを見たのは初めてだった。ところどころ急な斜面や木の生い茂る道もあった。「流域とは何か?」の実感もないまま、ゴディヤパドゥ村の流域を歩く。汗をかきながら村にもどると、
「これでいつもの10%くらい」とキョーコさんが言った。
ずいぶんと歩いた気がしたが、これで10%。これからどれだけの山を登るのかと思うと、楽しみな反面、恐ろしくも感じた。こうして、無事にフィールドデビューを果たした筆者だったが、この時はまだ、村のことも、村人たちのことも、流域のことも何にもわからなかった。
それから、村に行く機会は増えて行った。初めての村訪問から2週間後(2103年7月中旬)、次にゴディヤパドゥ村を訪れた際には、種籾選びの研修を行った。別の日に、スーリヤムさんと訪れた、同じく2007年から流域管理事業に参加しているブータラグダ村では、モデル農地の畑を囲ったフェンスの測定と支払を行った。これらは農業改善の一環だという。どちらの村でも、何やら中心人物らしき若者たちがいた。彼らは村のリーダーなのだろうか?
こうして、何度か村を訪れ、石垣の設置や農業改善の話を聞き、それに対して懸命に取り組む村人たちを見て、なんとなく個々の活動はわかってきたような気がしていた。しかしながら、この流域管理事業というものが、実感としてわかるとは言えなかった。
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2. 指導員って誰?

最初にゴディヤパドゥ村で会った帽子を被った3人と、ゴディヤパドゥ村とブータラグダ村の中心人物らしき若者たちは「指導員」だった。ブータラグダ村、ポガダヴァリ村、ゴディヤパドゥ村から男性12人女性1人の計13人の指導員たちがいる。彼らの多くは『こいつら、おれと同い年くらいかなぁ』と思わせる青年たちだった。ラマラジュさんとキョーコさんによる指導員に向けた研修では、それぞれが自分の持ち味を発揮して積極的に参加していた。中には喋くりの人もいれば、シャイな人もいる。ズバっと返しが早い人もいれば、自分のペースでしっかり伝える人もいる。その様子を見ていると、各村の指導員たちが良き仲間であり、良きライバルのように思えた。
指導員たちは皆、2007年から始まった流域管理事業のフェーズ1からこの事業に参加しており、筆者にとっては先輩たちだった。流域のコンセプト、流域管理のための計画づくり、そしてその計画に基づいた植林や石垣の設置など流域保全の実施とモニタリング、彼らは自分が学んだ流域管理の技術を、流域を共有する周辺の村に伝えるために指導員になったらしい。
「なぜ周辺の村に伝える必要があるのか?」
指導員たちは、自分たちの村の流域を保全するには、そのコンセプトを隣の村にも伝える必要があるとわかっていた。そして、フェーズ1でムラのミライの研修を受けてきた経験から、活動を強制したり、流域のコンセプトの理解無しで何かを作ったり植林するだけでは、流域管理の技術は伝わらないことも知っていた。だからこそ、今度は指導員として、ムラのミライから技術を正しく伝える技術を学ぶことに必死だったのだ。
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2013年10月、ポガダヴァリ村の指導員によるアナンタギリ村での研修を初めて訪れた。上述の最初のゴディヤパドゥ村訪問の際にやってきたのはアナンタギリ村の村人たちだった。彼らは、この日、ポガダヴァリ村の指導員と研修の約束をしたのにも関わらず、アナンタギリ村の村人たちは時間通りに集まらない上に、前回の研修のことを村内で共有するという宿題もやっていなかった。村人たちは、何の研修をやるかも知らぬまま、指導員とソムニードが来たから顔を出してきただけだった。すると、ポガダヴァリ村の指導員たちとキョーコさんとラマラジュさんは「今日は研修しない」と早々に切り上げた。筆者は驚いた。研修は甘くないとわかった瞬間だった。アナンタギリ村は反省をしたのか、やるべきことをやった上で、もう一度研修のお願いがあった。スタッフも指導員も、研修に対してこういう厳しさを保っているからこそ、研修を受ける村も研修に対して真剣に取り組むようになるのだと学んだ。
それから約2年間、筆者はこのアナンタギリ村を含む新規参入の村を何度も訪れた。初めてキョーコさんとラマラジュさんから指導員による研修のモニタリングを任されたのは、2014年2月、マンマングダ村でのアクション・プランの研修だった。研修を担当したのは、ブータラグダ村の指導員たち。知っているテルグ語の単語を拾いつつ、スーリーに内容を訳してもらいながら、研修の流れを追う筆者。研修は順調に進んでいるように見える。しかし、よく見ると、参加者の中で研修員の声に反応するのはいつも同じ人たちで、女性や年配の人は座って研修を眺めている。ただ、筆者には何も出来ない。さりげなく指導員の一人を呼んで、女性や年配の人も話し合いに参加出来るように促す。少しは良くなったような気もするが、やっぱり話の中心は変わらない。「研修の始めから指導員と目標を話し合えばよかったのだろうか?」「他に何かできたのだろうか?」村での研修の難しさを実感した。いま思い返してみれば、指導員が女性だったり、年の近い年配だったりすると、また研修の内容で女性しか知らないことや年配しかしらない質問を交えると、女性や年配の参加者も進んで発言してできるようになったのかもしれない。
こうして、研修の難しさを実感しながら、指導員による数々の研修をモニタリングして、時には指導員と一緒に自分も指導する立場で流域管理の研修を続けてきた。村でこれまでの活動のフィードバックをしたときは、初めて村人たちの前に立ち、「フィードバック」をしたつもりが、ただの数字の羅列になってしまい、村人がポカーンとさせてしまったこともあった(2014年7月)。
指導員のモニタリングを行うはずが、順調に研修進んでいる研修でも何かと喋りたがるスーリーを止めるためのモニタリングになることもあった(随時)。植林の指導とモニタリングでは、朝から夕方まで指導員と村人たちと一緒に山を駆け巡った(2015年5~8月)。最初は、研修をただ見ているだけだった自分が、研修をモニタリングし、指導員と共に指導し、村人たちと一緒に流域管理の事業をつくっていく。こうして、私は少しずつ、彼らの流域管理事業に参加させてもらえるようになったのだ。
そして、その過程で、指導員たちが新規参入村での研修について
「字の読めない人でもわかりやすいように、写真やイラストを使おう」とか、「今回は女性の参加者が少なかったから、次回からはもっと女性が参加者を増やせるようにしましょう」とか、「(研修する村で日常使う言語が違うため)言語が伝わらないところでの研修は本当に難しいけど、彼らはよく理解しようとしていたね。」とか、そういう話をしてくれるようになった。私が初めて会ったときには、「どっから来たんだ?」「家族はどこにいる?」「結婚しているのか?」と、向こうからの質問ばかりだった会話が、今度は指導員たちから、研修についての提案やフィードバックを聞けるようになって、筆者もほんの少しでも指導員たちに近づくことが出来たんじゃないかと思った。
指導員が研修を行ったアナンタギリ村、パンドラマヌグダ村、バルダグダ村、コッタグダ村、マンマングダ村、どこの村でも、指導員は真摯に研修を行い、そして村人たちは流域のことを理解し、流域管理の活動を続けて行った。チャンドラヤが、ある日言った。
「ヒロさん、流域管理の活動をビデオで残そう。そうしたら、もっと多くの村の人にも伝えられるから。」
『きっとコイツらの活動は続いて行くんだろうなぁ。』その彼らの活動の一部に参加出来たことを嬉しく感じた。
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3. 農業カイゼンに向けて

農業改善には、ブータラグダ村、ゴディヤパドゥ村、ポガダヴァリ村の3か村が参加した。水と土が農業に重要ということぐらいは、農業とは無縁の人でもわかる。しかし、農業改善を流域管理の活動の延長線上として考えると、具体的な活動や実感はすぐには湧かなかった。
農業の改善とは、一体どういう意味だろうか?
生産性を上げることなのか?コストを下げることなのか?作物の価値を高めることなのか?
村人たちの農業改善とは、村の中で自分たちがずっと続けていける農業を取り入れることだと思う。それは、生産性も、コストも、作物の価値も全て網羅している。農業の年間計画を立てることで、農地を有効活用することで、より長期間に渡り多種類の作物がとれるようになる。村の資源を活かした有機たい肥やバイオ農薬を使用することで、化学肥料を買うコストも下がる。そして、化学肥料を使用しない分、土壌の質も保つことができる。それらを達成するための研修と実践の積み重ね、それが村人たちの農業改善の活動だった。また、ブータラグダ村では、種を村の中で調達できるように、村人たちの出資で種子銀行(シード・バンク)も完成した。
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2014年7月、農業改善活動の一環として、ブータラグダ村とポガダヴァリ村から代表の10名(各5名)が、タミル・ナードゥ州に視察研修に行った。タミル・ナードゥ州では、州政府の支援によって園芸やコリアンダー、ミントなど換金作物の栽培が大規模に行われていた。村人たちも、その規模やビニールハウスを使う技術には驚いていた。そして、もう一つ、村人たちが視察したのが、自然のものを活かし、その土地に適した品種で伝統的な農業を行う青年の活動だった。二つの異なる農業を見て、村人たちは、自分たちが進むべき道を再確認した。もちろん後者である。青年から学んだ農業の技術を村に帰って他の村人たちにも伝え、実践を開始すると意気込んだ。視察研修の振返りで、「オラたちが村で目指すのはこっち農業だ。」と確信する村人たちが頼もしかった。
その後、月に一回、農家たちがグループを組んで行うモニタリングに同行すると、タミル・ナードゥで学んだ技術を活かしていることがわかった。しかも、視察研修に行ったメンバーだけではなく、村に残った人たちにもきちんと伝わっている。このモニタリングでは、毎回農家たちの工夫と協力を見ることができた。ある農家が稲から害虫を遠ざけるために、畦に花(マリーゴールド)を植えて田んぼを囲うと、次の月にはそれを参考にして別の農家も実践していた。水はけが悪く作物が枯れてしまった農家がいれば、別の農家がアドバイスを送り、今度は枯れないように栽培をしていた。
村人たちの農業改善を間近で見て、そのモニタリングにも参加して、筆者も村での農業について学ぶことが出来た。ただ心残りなのは、村人全員が理解し、納得出来るモニタリング項目をつくるためのサポートが出来なかったことである。もっと農業の知識と、そしてファシリテーションの力があれば、それが出来たのかもしれない。
いずれにせよ、村人たちの農業改善は成果を上げた。村人たちが必死だったのは、農業は彼らの生活そのものだったからだと思う。とはいえ、いままでは農業だけで食べていけるわけではなかった。流域管理事業が始まる前、村の農家たちは都市への出稼ぎや日雇い労働による生計を余儀なくされていた。流域管理の成果が出て、土壌が回復し、使える水も増えた今では、自分の村で、家族と仲間と暮らしながら、農業で生活が出来る。だからこそ、この生活をずっと続けようと、農業改善に本気だった。実際には、今までの農業のやり方を変えるという決断を下すのは、村人たちにとって容易なことではなかったと思う。それが出来たのは、2007年から寄り添ってきたムラのミライ・SOMNEED Indiaへの信頼があったから、そして、彼ら自身のなかに、きっとこの方法なら上手く行くという確信があったからに違いない。
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4. 地域の手本は世界の手本

村人たちがコミュニティで考えて、コミュニティで計画し、コミュニティで実践する村づくり。ブータラグダ村では、「孫子の代まで暮らし続けられる村」をつくるため、村のグランド・デザイン(総合計画)が策定されて、実践されている。他の村も負けていない。自分たちの流域を再生し、守り、活用し、そしてそれを広めていく活動は続いている。
『流域、農業、指導員、水、土、森、人』
2年前、筆者が初めて流域を歩いたとき、初めてモデル農地を見たとき、初めて指導員の研修に同行したとき、あの時バラバラだったキーワード。
2年間、植林や石垣づくりのため村人と流域の中を歩き、年間計画を見ながらモデル農家と一緒に田畑を周り、指導員と一緒に研修の計画を立てるなかで、バラバラだったキーワードが一つに繋がっていった。それにもし名前をつけるならば、それは『流域管理』になるんじゃないかと思う。
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自分たちのコミュニティがもつ資源に気付き、それを守り、活用していく。きっとそれは、インドの山奥の小さな村の話だけではなく、この世界のどこにいても共通の、地域づくりのあり方なのではないだろうか。
『地域の手本は世界の手本』
村人たちの、流域管理を通した地域づくりは、きっとこれからインドの、日本の、そして世界中の地域づくりの手本になっていくに違いない。こんな素晴らしい事業に参加出来た事を我ながら誇りに思い、遠くインドの山奥の、サワラ族の村人たちへ深く感謝を示したい。
そして、インドの村で、村の未来に向けて走り続ける村人たちと一緒に活動していく中で、
「おれも大原けぇっべ(俺も大原に帰るか)」
という気持ちに辿り着いた。今度は、自分が暮らす地域で、地域を盛り上げていきたい。
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注意書き

筆者:實方博章。ムラのミライ元スタッフ。2013年6月〜2015年8月まで流域管理事業に従事。
キョーコさん:前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、本事業のプロジェクトマネージャー。流域管理プロジェクトの他にも研修事業から出版事業まで全てを統括するスーパーチーフ。
ラマラジュさん:よもやま第一部からおなじみの名ファシリテーター。現在はビシャカパトナム市にてムラのミライ・コンサルタントとしてプロジェクトや研修事業に従事。
スーリー:夏の暑さにも負けず、村人と野山を駆け回るSOMNEED Indiaのフィールドスタッフ。
スーリヤムさん:SOMNEED Indiaの会計担当。普段はビシャカパトナムの事務所で会計その他の事務作業全般を行っている。

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