第8号「オラたちの活動は、山あり谷あり」(2013年7月22日発行)

In 802プロジェクト通信 インド「水・森・土・人 よもやま通信 第2部」 by master


目次

1. 読み書きなんて関係ない
2. モデル農地も十人十色
3. 活動は七転び八起きの連続だ
4. 欲しい欲しいと言う前に、何ができるか自分の頭で考えろ
5. 一難去って、また一難!?

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毎年5月末頃になると、いつインドの最南端が雨季に入ったか、を日々チェックするようになる。
この南西モンスーンは、気温45度になる酷暑の後の、恵みの雨。ただ、インドも例外ではなく、雨の降り方が年々極端になり、時には大洪水を引き起こす。
今年の南インドは数週間早く雨期に入り、農村ではシトシトといい具合に降り続いている。ようやく暑さから逃れて人心地がついた頃、村のオッチャン・オバチャンたちの農作業が始まる。

1. 読書きなんて関係ない

『畑の中を区分けして栽培すると、効率よく多くの種類の作物が栽培できる』と、コロンブスの卵のように衝撃を受けた村の人たち(第7号参照)。
村の人たちは今、1家族が1モデル農家として、農業改善に取り組んでいる。取り組む農地は5つ。田んぼ、平地の畑、キッチン・ガーデン、山の斜面の畑、そして果樹園。B村で29家族、G村で20家族、合計49家族がモデル農家に挑戦している。1メートルの棒を持って田んぼなり畑なり自分のモデル農地をなぞって歩き、農地の形を縮尺図に落すと、これが「オラのモデル農地」のデザイン・シート。
コロンブスの卵を経た村のオッチャン・オバチャンたちは、このデザイン・シートに、7月から9月まではココになすびを植えて、こっちにはトマトを植えて、柵を利用して豆のツルを這わせて・・・
と考えて、シールを貼ったり文字を書き込んだり。種は何グラム、誰から買うのかあるいはもらうのか、自分の村以外からの調達ならば、誰がそれを調達するのか、等々、個人レベルであるいはチームで、作業も決める。

「ねぇねぇ、やっぱりアタシも田んぼの畔に豆を栽培してみるよ」
そう言って、村の青年の腕を引っ張るG村のオバチャン。オバチャンの手には、豆のシールとデザイン・シートが握られていて、それを青年にズイっと渡す。それを見ていたラマラジュさんが言った。
キョーコさん、あのオバチャン、何をしなければいけないか、ちゃんと分かってますよ」

このオバチャン、全く文字の読み書きはできないし、発言が活発なわけではない。文字は知らないけれど、いろんな紙を使って何をしているのか、どこに何が記録されているのかは、知っている。
つまり、文字の読み書きが分からないオバチャンでさえ分かるのだから、読み書きできる人にも、何がどこに書かれているのかが分かっている。
G村は20家族のモデル農家の内、読み書きできるのはたった4人。この4人の周りにオッチャン・オバチャンが、カボチャや豆やコメやマンゴーやその他いろいろなシールと紙を持って、群がっている。

こうした研修風景が真夏の間に繰り広げられ、その合間に、筆者たちは、有機農業専門家のから、耕作デザインの考え方や保水土対策を学習した。
モデル農地の土壌成分分析の結果も、ようやく農業局から届いて、それを見ながらより良い方法を探る。

「この作物とこの作物は、相性がいいですよ」
「有機炭素の値が高いところは良い土壌なので、あまり有機肥料を足す必要はないですね」
「傾斜がこのくらいだと、石垣よりも溝を作った方が、土壌流出を止めるのには効果的です」
次々と繰り出されるチャタジーさんのアイデアを、吸収するのに必死な筆者たち。
これを、さらに村の人たちに分かり易いように、後日村で紹介する。
「キッチン・ガーデンの人は、1メートル四方を囲むように石を置くと、土が流れずに済みます」
30人弱のB村のオッチャン・オバチャンたちが集まったまだ残暑厳しい日に、筆者たちがチャタジーさんからのノウハウを紹介すると、
「そうすると、水も溜まりやすくなるね」と、B村のオッチャンが答える。
「オラの裏庭広いから、そんなにチマチマ作れねぇ」と言う人がいると、
「お前んとこは、それより石垣作ったら良いんだよ」と、別のキッチン・ガーデンのメンバーがアイデアを出す。
「ワシの田んぼは、今までどおり稲だけでええ。植え方は変えるけどな」
「オレの田んぼは、ちっちゃなため池も備えて、その土手にはカボチャも植えてみる」
こうして、各モデル農家が、それぞれのモデル農地のデザインを考え、アクション・プランを作った。誰一人として、同じデザインの人は無く、また、栽培作物も違う。
月半に渡った、デザイン・シート作り&アクション・プラン作り研修を経て、「モデル農地」の実践が、いよいよスタート。

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2. モデル農地も十人十色

「オレがメートルを測るから、父ちゃんはレンガを持ってきて」
B村のキッチン・ガーデンのモデル農家を訪ねると、土地の周りをロープがピンと張ってある。
そして、1mごとにマークを付けているのは、このモデル農地研修に一番精力的な青年、チランジービー。彼は田んぼのモデル農家なのだが、キッチン・ガーデン担当の父親を手伝っていた。

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さて、長さを測るとはどういうことか。
読者諸賢には何のことはない、朝飯前のことだろう。
巻尺をピンとまっすぐに張って、ゼロを起点に合わせて、そして1mごとに印をつける。簡単なようで、最初はできなかった村の人たち。
思えば、巻尺を持ったことはあるけどきちんと使ったことはない、という村の人たちが多かった3・4年前。
ゼロを起点に合わせる、ピンと巻尺を張る、
これに気付くきっかけになったのが、飛騨高山の山奥からインドの山奥まで来てくれた測量専門家による研修だった(よもやま通信 第1部12号に登場)。

これを手始めにして、後々、面積や体積も出せるようになり、そしてため池も掘った。
今では公共事業の道路整備で、賃労働に参加した村人が、作業量から必要な労働日数を割り出して、役人にそれを教えてあげるまでになった。
チランジービー含め、村の人たちがこの事業の中で身に付けた、基礎で大切なスキルのひとつである。

閑話休題。

こうして、「何が何のために必要なのか」を理解し、自分のモデル農地に必要な保水土対策も施したモデル農家のオッチャン・オバチャンたち。
灼熱の太陽でカピカピになっていた土も、降り続くシトシト雨でいい具合にしっとりと湿り、6月頭にはあちこちのモデル農地で、土が耕された。
耕起、種の購入、雑草抜き、石垣づくりや1メートル四方のレンガ起き等々、モデル農地に関して行った作業や、お金の出入り(今はまだ支出ばかりだが)も、モニタリング・シートに入れていく。

「オレ、字は書けないけど数字は書けるから、とりあえず作業した日にちだけは書いてるんだ。」と広げたファイルをグループ・リーダーに渡して
「その日は柵作りをして、4~5日かかったんだよ。その後、種を買って、同じ日に種まいて・・」と日付で作業内容を思い出して、リーダーに代わりに書いてもらう。そのモニタリング・シートを持って各モデル農地を見て回ったある日。新人駐在員、ヒロアキも畑のグループ・リーダーの後について走り回った。
「キョーコさん、見てよこのオバチャン。サトイモばっかし植えてやんの」
と、広大な畑を持つオッチャンが、あるオバチャンのキッチン・ガーデンを指さして言った。

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それに対してこのオバチャン。

「何を言うとるか、よう見てみぃ。柵の周りにホレ、ゴーヤに豆に植えとるじゃろうが。最初は、いろんなものが植えられると分かっても、何やらメンドイなぁと思って、シールを貼ったりはがしたりしたけどなぁ・・・柵を見たらやっぱり植えたくなったんじゃい」
確かに、デザイン・シートはサトイモのシールがでーんと貼ってあり、その周りには他のシールを剥がした跡が。
すると、一緒にいたキッチン・ガーデン・メンバーのオバチャンが、「アタシも・・」と話し出した。
「アタシも、あんましたくさんの野菜を植えるのも手間がかかるなぁ、とは思ったけど、畝を作って、区画を分けて、種まいたり苗を植えたりすると、やっぱしここになすびも植えた方が、孫に食べさせてやれるなぁって思ったんよ」と、デザイン・シートやアクション・プランを少し変えて、なすびも植え始めたことを『告白』。

研修場所に戻ると、田んぼチームのメンバーで、B村のリーダーでもあるモハーンでさえも、頭をかいて話し出した。
「田んぼの中にちっちゃなため池を計画通りに掘ったのです。だけど、その畔に植える野菜を、アクション・プランに乗せるのを忘れてしまっていて・・・それに気づいたら、昨日の晩は全然眠れなかったんですよ」
と、筆者たちスタッフを見て、苦笑い。

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3. 活動は七転び八起きの連続だ

大抵のモデル農家たちは、デザイン・シート通りに畑や田んぼ、果樹園などで栽培を始めているが、こうした「実際にやってみて、初めて気づいた」ことにぶつかる農家もしばしば。

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まるでやったことのなかった「農地利用計画」。
他でもない「オラの田んぼ・オラの畑」が、どのような畑や田んぼに変わるのかを、まずはデザイン・シートという形で視覚化し、目指すべき形を浮かび上がらせた。
そして実際にやっていく内に、「やっぱりコレは変えた方が良い」という事はでてくる。
そしたらそこは臨機応変に、状況に合わせて変えていけば良い。計画は道筋を立てる上では重要だけど、それに固執することはない。ましてや相手は畑や作物。やってみてナンボ、のことなのだ。このことを、スタッフたちと村人たちと確認してから、モハーンがにっこりして言った。

「今日は、ゆっくり眠れそうです」
こうして、順風万帆に動き出したモデル農地。極端な大雨や日照りにならないことを、祈るばかりだ。

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4. 欲しい欲しいと言う前に、何ができるか自分の頭で考えろ

翻って、指導員たちのその後の様子。
前号で、P村の指導員たちも波に乗りだした話をお伝えしたが、絶好調に波に乗っている。
P村の指導員チームは、若手のニイチャンに、30代のオバチャン、そして50代半ばのオッチャンと、性別も年代もある程度バランスのとれた指導員チームだ。

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オバチャン指導員は、2007年の事業開始当初から頭角を現していたパドマで、研修のやり方も呑み込みが早い。
P村が担当するのは20世帯弱の村で、P村とその村の流域は、まさしく一つの山の分水嶺であっちとこっちに分かれている。つまり、ある山の頂上から東南方向に広がる斜面がP村の流域、西側に広がるのが、P村がこれから研修をしていくその村の流域だ。
「・・・ということで、これを流域と呼びます」と、
一番最初の研修「流域とは何か」を、考えさせるパドマ。
「なるほどー。で、これから何を作るんじゃい?」と聞いてくる初老のオッチャン達。
このオッチャン達は、他のどの村よりも、「何かを造りたくて(造ってほしくて)ウズウズしている」のが丸わかり。
パドマが何を言っても、何を尋ねても、「何を造るか」というハナシに持っていこうとする。
すると、
「おめえら、ちゃんと聞けよ」
とこのオッチャン達と同年代であるオッチャン指導員、ダンダシが喝を入れた。

「何も考えずに、『アレが欲しいコレが欲しい』と言い続けてきたから、今こんな状態なんだろう。それを変えたいと思って、ワシらに研修をしてくれと、言ってきたんだろう?」
「ハイ、そうです・・」と縮み上がるオッチャン達。
「だったら、まずは欲しい欲しい言う前に、何ができるかテメエの頭で考えろ。そのために、ワシらが研修をしてるんだ」
と、睨みを利かす。
ダンダシは、このおねだりオッチャン達と同じく、読み書きができない。
ただ鍬を振るい、汗にまみれて一日中農作業に精を出す、どこにでもいる村人だ。
他の男性指導員たちは、シャツにズボンという村でも当たり前になった服装で研修をするが、ダンダシは、こうした初老の男性たちと同じように、シャツに腰巻を身に付けている。
ある意味、「息子やそれよりも若いヤツのいう事なんか・・」と思われがちな研修シーンでも、ダンダシがいると、その場の空気が引き締まる。

「あんなオヤジもこうした研修を受けて来たんだ。だったらワシも・・」
と思っているかどうかは、まだわからないが、パドマが女性の村人たちの背中を押しているように、おねだりオッチャンたちの背筋を伸ばさせているのは、紛れもなくダンダシだ。

「ダンダシが指導員になりたい、と言ってきた時には驚いたし、続けられるのかと思いましたが、いやはや、ダンダシの指導員効果は抜群ですね」
と、ラマラジュさんもダンダシの存在感に感嘆の声を上げている。
そのダンダシも睨みを利かすだけでなく、問いかけもするようになって2回目、3回目と研修を重ねるうちに、おねだりオッチャン達のおねだり回数が激減し、第2のパドマを思わせるようなオバチャンも出現と、P村指導員たちの活動は、予想以上に波に乗っている。

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5. 一難去って、また一難!?

P村が追い付いた、と思ったら、急に足を止めたのがT村。3人の指導員がいるこの村は、流域下流部にある10世帯弱の村を受け持っていた。
だが、指導員研修で2人がソムニード(現ムラのミライ)から研修のイロハを学んで、いざ、と言う時に、この時用事で来られなかった別の指導員が、横やりを入れてきたのだ。

「オレを差し置いて、研修に行くのは許さん」と、こういう訳だ。
この指導員、村の土地持ち有力者の息子で、村で起こっていることには自分も何かと関わりたい。だから今までの研修も受けてきたけれど、実際に指導員として研修するには、正直度胸が足りない、そんな青年である。

「早く、研修を受けさせてくださいよー」
と、下流域の村からは催促の声が連日のように届く。
他の2人の指導員は、研修をしてあげたい。だけど、この青年を無視するわけにもいかない。かといって、青年が今更指導員研修を受けるには、遅れを取ったようで彼のプライドが許さない。
そんなにっちもさっちも行かなくなった時、2人の指導員とG村の指導員たち、そしてソムニードで相談して、この下流域の村の人たちから要請を受けた形で、G村の指導員たちが下流域の村に研修に行くことになった。もちろん、下流域の村の人たちは大喜び。
待ってましたと、他の村と合同で研修を受け始めた。

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ところが、このT村の青年が今度は脅しをかけてきた。

「オレたちの村は、今、別のNGOと一緒に、土地の権利を獲得しようとしているんだ。オレたちを無視して研修をするのなら、お前たち(下流域の村の人たち)の土地の権利獲得の手助けはしてやらないぞ」
すると、G村の指導員たちが反論に出る。
「何を言っているんだよ。土地の権利と、この流域管理の研修は全くの別物だろう。僕たちだって、そのNGOの人たちの手助けで、土地の権利がほとんど獲得できそうになってるんだ。だけど、この流域管理の研修だって続けてるよ」
すると、下流域の村のオッチャン達も、息巻いて思いをぶつける。

「オラたちにとっては、やっとこの事業に参加できるチャンスなんだ。指導員がどの村の人だろうが、オラ達には関係ない。この事業の指導員で、研修をしてくれるって人たちならば、その人たちの言う場所までオラたちは行く。オラたちは研修を受けたいんだ」

この一件の後、青年と他の村の人たちの間にもビミョーな溝ができてしまったT村。後の2人の指導員たちは、自分たちも指導員として研修に行きたいし、何とか青年を宥めようと必死になっている。また、彼のプライドを傷つけないように、彼が研修に再び参加できないかと頭を悩ませている。
筆者も、何か青年やT村の人たちが事業に戻れるきっかけになりそうなことはないかと考えた。だけど結局は、やっぱりT村の人たちが、

「事業に戻る」
「モデル農地なり指導員研修なり研修をまた受けたい」
と言ってくるまで、ここは待つしかない。

G村とは同じ少数民族で、何かと集まりやら山の作業やらで顔を合わし、お互いに情報交換をしている。G村のモデル農地のことも、果てはB村のさまざまな保水土対策も、T村の人たちは耳にしているようだ。
P村は、一度フェイドアウトしかけて、また戻ってきた。T村は、どうだろうか。

事業もちょうど折り返し地点を迎える。一筋縄ではいかない、それが事業である。

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インド地域づくり募金1

注意書き

 ラマラジュさん=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部からおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。今年の8月に来日し、8月17日・18日のシンポジウムに登壇します。

 キョーコ=前川香子。この通信の筆者で、プロジェクト・マネージャーを務める。

 ヒロアキ=今年6月末からインドに赴任してきた新人駐在員、實方博章。ヒーローのニックネームで、山を駆け回る。

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