第7号「走り出したら止まらない!?エンジン全開オラたちの研修」(2013年4月29日発行)

In 802プロジェクト通信 インド「水・森・土・人 よもやま通信 第2部」 by master

 目次

1. 指導員デビュー!
2. これがオラの研修スタイル
3. 守って、使って、作り出す
4. だけど、どうやって?
5. アタシたちも、負けてられない!

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若葉が芽吹く春。
日本では厳しい冬の後に来るその穏やかな気候に、老若男女、心躍る季節。
対してインド。
冬の後の春は文字通りアッと言う間に、新幹線が目の前を通るがごとく過ぎていき、老若男女も野良犬も気力を奪われる夏が始まる。
それでもマンゴーが勢いよく若葉を生い茂らせ花を咲かせるように、ソムニード(現ムラのミライ)の事業地の村の人たちも暑さが始まる中、勢いづいてきた。

1.  指導員デビュー!

前回(第6号)で、指導員たちの重たい腰が上がらぬ様子をお伝えしたが、一度腰を上げるとスイスイ動き出した指導員。
といっても、B・G・T・P村の4つの指導員15人の内、走り始めたのはB村の4名。
2月末から、ソムニードから指導員研修を受けるやすぐに、近隣の村々へと研修を実施している。
B村が担当するのは、5村。いずれも山を登って行かねばたどり着けない、ソムニードのスタッフ泣かせの場所にある。
5つの村を2グループに分けて、1回の研修に合計20~30人が集まるように指示された村の人たちであるが、驚くことに、最初から20代の娘さんやオバチャンたち、60代のお年寄りと、女性たちも参加してきた。
B・G・T・P村で事業を始めた2007年当時は、女性の姿なんてほとんど見られなかったものである。

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最初の研修テーマは『流域って何?』というもの。
すでにB村から、流域という単語を何度も聞いてきているので、それがキーワードだというのは分かっている。
果たしてどういう風にそれを理解させるのか。
最初に指導員デビューをしたのは、4人の内3人。
村のリーダーでもあるモハーン、指導員エースのアナンド、最年少で負けん気の強いシマハチャラン。
「雨の中、外に立つとまず体のどこに雨が当たりますか?」
よしよし、いつもの例が飛び出したぞ、と指導員を会場後ろから見守るラマラジュさん
「どういうこと??」という顔で、指導員を見つめる村の人たち。

状況を想像しやすいように説明する指導員たちだが、別の例も飛び出した。
「ここに小っちゃい子がいますね。この子を水浴びさせるとき、手桶で上からザバーとかけると、どのように水は流れますか?」
「あぁ、頭か!」
「頭から、お腹に流れていくね」と答える村の人たち。
こうして、いつものごとく流域とは山の頂上から平野の川まで、水の入口から出口までのエリアだということを『説明』した指導員たち。
だけど、これじゃぁモノ足りないなぁと筆者も思っていた矢先、モハーンが村の人たちに一つの課題を出した。
「ではみなさん、村の地図を描いてみてください。あなたたちが薪を採ってくる山、畑地がある山、集落はどこにあって、田んぼはどこまで広がっているのか。そうそう、川や池もあれば描いてください。」
この課題を聞いた時、初めて研修を受ける村の人たちにできるのか?と私たちは疑ってしまった。
ソムニードは、指導員が使う研修マニュアルというものを作っている。1回の研修の重要ポイントや、研修の流れ、何を問うべきかのヒントなどが書かれている。
そしてそのマニュアルのヒントに「参加者の村の山から平野までのおおよその図を描く」という部分があるのだが、筆者たちは「指導員が村の人たちから聞き取って描く」としていた。
今までの経験では、初めて自分たちの村の地図を描く時には丸1日は優にかかったものだが、果たして40分後。
「できましたー!」と発表する村のオジサンたちの手で拡げられた模造紙には、驚いたことに山から田んぼまで綺麗に収まり、畑やメインの大木、砂防ダムや池や井戸、道路に脇道にと、縮尺は無論正確ではないが、大まかな概要がわかるようになっている。
B・G・T・P村の人たちが、あまりにも描けなかっただけ??と内心首をかしげる筆者。

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そして、この地図を使って、さらにアナンドが続ける。
「この地図はあなたたちの村についてですね?では、ここに雨雲が来ました。どのように雨が降って水が流れてきますか?」
最初と同じ質問だが、使う材料が違う。
村のオバチャンも、「この山のこの川を通って、こんな風に流れて来て、田んぼに来るの」と、大声で言う。
何人かの意見を待って、アナンドが尋ねた。
「そうですね、この山から水が流れて来て、田んぼの下の川へと流れて出ていく。では、ここ(山の頂上)からここ(川の先)までを何と言いますか?」
「・・・ウォーターシェッド(流域)??」
「どこの?」
「・・・オラ達の村のウォーターシェッドか!」
そして何度も「ウォーターシェッド」とおまじないのように言い続ける村の人たち。
その顔は、まさしく『腑に落ちた』表情だった。

「これから皆さんが受けていく研修は、このあなたたちの村のウォーターシェッドをどうしていくか、ということについてです」
まずは今がどういう状態なのかを知ることから始めようと、次回へのつながりを持たせて最初の研修を終わらせた。
カッコよく指導員デビューを果たした3人の指導員。
だけど研修時間の7割は、3人とも座ったまま。
立って話さないと、ということは分かっているけど、立てなかった。
それくらい緊張していたんだよなぁと、彼らの晴れ舞台に胸を熱くする筆者たち。

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そして、4月にJICAインド事務所のエジマ所長がクギタさんと一緒に村に来られたとき、この地図を使って、村のオッチャン達は言った。
「コレが、ボクたちのウォーターシェッドです!」
「みなさんは数々の研修を受けているようですが、研修で学んだことを何に活かしたいのですか?」と、改めて聞く所長。
「岩が見え始めている山頂を、木々で覆いたいのです。今までは、そんな事考えもしなかった。だけど、山頂も木々で覆われていないといけないということに気付いたのです。そして、山から土が流れていくのを止めたいのです」
たった2・3回の研修を受けただけで、ここまで言える村のオッチャンがとても頼もしい。
同時に、指導員がそうやって分かり易く教えているんだ、ということが垣間見える出来事でもあった。

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2. これがオラの研修スタイル

そんな指導員たちも、場をこなすごとに自信もつき、アドリブも利かすようになった。

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『今ある資源の再確認』のテーマで、「調査」について話が及んだ時。
「今ある村の資源について、調査が必要だなぁ」とある参加者が言った。
「資源って、具体的に何ですか?」と尋ねるアナンド。
「人口とか家畜の数とか、山にある木の種類とか、農地の面積とか、井戸の数とか・・?」
「それを知ってどうするのですか?」
「・・必要なのです」
「何に必要なのですか?」
「何がどれだけあるのか、みんなで知る必要があります」
「そこの集会場の壁に、村の絵図が描いてありますね。家や井戸、田んぼが全部絵に描いてあって、その上、この村の田圃や井戸の数、森林の面積も書いてある。もうみんな知っているんじゃないですか?」
「えぇぇ~~、でも今のことを調査しないとねぇ?」
「調査して、みんなで知って、そしてそれを何に使うのですか?」
聞いていて痛快な質問をこれでもかと繰り出す、指導員アナンド。
今まで村の人たちは、さまざまなNGOと「村のことを調べましょう、みんなで壁や床に絵を描きましょう。そして質問に答えてくださいね」という調査しか体験してこず、その結果を何かに使ったこともない。
なので、まずは調査をする目的を村のみんなで理解して、それから調査項目を全員で考え、調査員を選んで、実施する。
アナンドの忍耐強さも天晴だけど、質問攻めに耐えていた村のオッチャンオバチャンたちも、楽しそうだった。
やはり、研修は楽しくないといけない。
そして、そんなアナンドの雄姿を横目に見て、「ボクもこんな風になってやる」と闘志を燃やす最年少指導員のシマハチャラン。
他の指導員が必要な時に、ササッとチョークやペンなどを出して研修のサポートをする姿もいじらしい。

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指導員それぞれのスタイルに特徴がでてきたこの頃。
きっとお互いのやり方に意見を言い合う日も来るだろう。だけど、それが逆に彼らのスキルをさらに高めることになるに違いない。

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3.  守って、使って、作り出す

そして話は一転、農業について。
指導員が別の村で研修をするのと同時に、自分の村ではこれから農業のやり方を少しずつ変えていく。
化学肥料や農薬を使う農業から、ミミズを使ったたい肥を作り、有機農業へと転換していくのだ。
山の中で土や水を守り木を育てることに注力してきたが、畑や田んぼでも同じである。
土や水を守り、使い、そしてさらに作っていく。
これまでの農業を振り返る中で、G村のオバチャンたちは気づいた。
「あらぁ、アタシらって野菜を買ってばっかりじゃない!」
山の畑地でも裏庭でも、自分たちで食べる野菜と言うより、ホウキ草やパイナップル、豆類など「売ればお金になる」ものをたくさん栽培してきている。
「あなたは、山の畑地で、あるいは田んぼで、あるいは裏庭で、何のために農業をするのですか?」
「西ベンガル州に視察に行って(第4号参照)、何に気づきましたか?自分たちの場合は、何をしないといけないのですか?」

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いくつかの研修を経て、村のオッチャンオバチャンたちは、これからの農業のテーマを掲げた。
1年を通して、自分たちの農地からたくさんの種類の作物を作る。
自分の家族に必要な作物を、安全な農法で作る。
肥沃な土で、少ない投資で、害虫にも対処できる、そんな農業ができるようになりたい。

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4.  だけど、どうやって?

そしてB村では、どこの村より一足も二足も先に、農業研修に取り組んでいる。
一家族が一つの農地を選び、そこが、有機農法・低コスト・高収量の農業を実践していく「オラのモデル農地」だ。
「2012年に、あなたのモデル農地では、何がいつどれだけ採れましたか?」
「え~っと、マンゴーが5月から6月で、ジャックフルーツが7月頃、ゴーヤが11月頃で、豆が1月・・」と、カレンダー形式にしたフォーマットに、作物のシールを貼っていく。

B村だけで30世帯。
その内、読み書きができる人は3割程度。
文字を極力使わずに「オラのモデル農地」の農地デザインをし、栽培計画を作れるように、スタッフ達はシールやイラストの準備で毎日が忙しい。
ショーコも日本のカッターを片手に、野菜やイモや果物の写真、果ては牛糞のシールにひたすら切り目を入れる。

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筆者が、オッチャンオバチャンたちでひしめき合う研修会場の中を縫うように歩き、出来具合を確かめていた時。
「キョーコさん、あのね、ワシはサポタが好きなの」と言って、サポタ(ピンポン玉より少し大きいサイズの果物で、干し柿のような味)のシールをぺたんと紙に貼るオジサン。
「オジサンのモデル農地は・・・裏庭の畑ですね。へぇ、畑にサポタの木があるのですか?」
「いいや。サポタは別の場所に植えてあるの。でもワシはコレが大好きでねぇ。えへへ。」
満面の笑顔で教えてくれるオジサンだが、この作業は、モデル農地をする前(2012年)の状況と、した後(2013年)の比較をするためにも、正確な情報が必要だ。
おもわず一緒にえへへと笑った後、シールをはがしてもらう。
今年は何を植えるのか、自家消費用か販売用か、農地のどこに植えるのか、等々、考えてみることはいっぱい。
「どこって、バーッと種を撒くんだよ」と、胸を張って答えるオッチャン。
それは、まるで花咲か爺さんのように、あるいはニワトリに餌をやるみたいに、4・5種類の種をまとめて畑に撒き散らすのが、今までのやり方。
だけど収穫時期はバラバラ。
「この作物Aは、何月に収穫できるのですか?」と筆者が尋ねる。
「8月」とオバアチャンが答えてくれる。
「じゃぁ、作物Bは?」「11月。作物Dも。」
「作物Cは?」「1月」
「それじゃぁ、例えば作物Aを、この場所だけに植えるとしましょう。そしてBは・・」と、あるオバチャンの農地を例に取り上げ、畑の中を区分けして、それぞれの作物の収穫月を数字で入れる。
それを、月毎につくってパラパラ漫画のように連続して見られるようにした。
収穫が終わったスペースは、その後の月は空白である。
「6月に作物ABCDの種を、別々のスペースに撒いたとしましょう。じゃぁその後、畑がどうなっていくか、見てみましょうか。」と、8月、9月、10月、11月、12月、1月とシートをめくっていくと・・・
「あぁ!!1月になると、畑の4分の1しか使ってない!」
「っていうか、8月に作物Aが採れたら、その後、そのスペースで別の野菜が作れるかも?」
「へぇぇぇぇ」
一様に驚きの声を上げる村の人たち。

今まで、畑をどのように使うか、ということを考えてこなかった村人たち。というよりも、考える場面がなかったし、どのように考えたらいいのか、誰も教えてくれなかった。
この農業改善の研修を始めてから、B村の青年チランジービーは、毎回必ず参加している。
それ以外の研修には、「他の奴らが学んでくれたらいい。その代り、オレは土を耕している」と、朝から晩まで田んぼや畑に出掛け、研修に参加した人たちの指示通りに石垣や植林作業に参加してきた。
だけど、この農業に関しては目の色が違う。
「オレが家族を食わしてるんだ。もっと良い野菜やコメを作るために、研修に出てくるんだ」
彼の熱意に応えるためにも、筆者たちも、専門家や農業局から絶えず学習する日々である。

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5.  アタシたちも、負けてられない!

そして、目の色を変えた村人が、ここにも4人。
読者の中で、最近の通信でP村について話が無いなぁと、気づいておられる方がいるだろうか?
もし気づいておられたら、相当なよもやま通信マニアである。
たぶん、筆者一人だけだろう。
さて、P村から連絡が途絶えて5か月ほど経ったある日、「近くに来たから」とP村の指導員候補を訪ねて行った。
偶然か必然か、B村の指導員アナンドの研修風景のビデオデータを持っていたので、「見てみますか?」とノートパソコンをその場で広げた。
「これは、何回目の研修ですか?」と尋ねるオバチャン指導員パドマ。
「2回目ですよ」と何気なしに答えるラマラジュさん。

しばらく食い入るようにアナンドの研修風景ビデオを見つめていたパドマたちに、ラマラジュさんが尋ねる。
「で、あなた方はどうしますか?」
「・・・後で連絡します」

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それから3日も経たない内に、P村のパドマから連絡があった。
「指導員研修を受けたいです。私たちも他の村で研修したいです」
「それは良いけど、どの村で研修するのですか?あなたたちは、どの村に声掛けしたのですか?」
「・・・これから声掛けします」

それから1週間後、「事業に参加したいって言う村を見つけました!」と、意気揚々と連絡してきた青年指導員チャンドラヤ。
きっと、研修一回で謝金がナンボという計算もあっただろうが、アナンドの勇姿が引き金になったのは間違いない。
さて、遅れて波に乗ってきた、いやこれから乗ろうとしているP村。

これでまた、B・G・T・Pの4つの村が揃ったわけだが、果たして次回ではどうなっているのか。
筆者も戦々恐々、もとい興味津々である。

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インド地域づくり募金1

注意書き

ラマラジュさん=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部からおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。

筆者=キョーコ=前川香子。この通信の筆者で、プロジェクト・マネージャーを務める。

垣間見える出来事=JICAインド事務所エジマ所長とクギタさんの村訪問については、ソムニード(現ムラのミライ)のフェイスブックページにも写真付きで紹介しています。

ショーコ=池崎翔子。3月末で、インド駐在からネパール駐在へと異動になりました。これからは、ショーコ発のネパール情報をご期待ください。

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