第17号「誰のためのモニタリング?」(2015年1月16日発行)

In 802プロジェクト通信 インド「水・森・土・人 よもやま通信 第2部」 by master


 

目次

1. 農業カイゼン実施中
2. オラたちの村の農業
3. これはオラたちのプロジェクト
4. 誰のためのモニタリング?
5. お金の管理も大切です

「暑い」か「すごく暑い」しかない南インドの暑さが少しだけ和らぐ季節がやってきた。さらに今年の村の冬は、例年よりもだいぶ涼しい。稲の収穫を終えた村人たちは、脱穀に忙しい。ついこの前まで黄金色をしていた田んぼには、いま新しい芽が宿る。

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1. 農業カイゼン実施中

前号のよもやま通信でお伝えしたように、流域管理の技術を周辺の村々に伝えるために奮闘する指導員たち。その指導員が暮らすブータラグダ村(以下B村)、ポガダヴァリ村(以下P村)では農業カイゼンのための取り組みを続けている。

「畑が水浸しになって、ナスが枯れちゃったのよ。だからチャンドラヤに聞いて畝をつくることにしたの。」と話すのは、P村のおばちゃん。失敗しても他の農家のアドバイスを活かしてまた挑戦する。
「アナンドの田んぼを見てオラも真似したんだ。」
と話すB村のおっちゃんは、害虫から稲を守るために田んぼの周りで花の栽培を始めた。
「こうしておくと虫がきても花に止まるから稲を守れるんだ。それに花は町で売れるから現金収入にもなる。」
畑やキッチンガーデンでは次々に収穫が行われ、収穫後に空いたスペースにはまた新しい作物が植えられるため、常に何かの作物を収穫できるようになった。12月を迎えると稲の収穫も始まり、村人たちは脱穀などの作業に並行して二期作目の準備に取り掛かる。
最初は手探りだったP村のモデル農業も、もみ殻燻炭や生物農薬(化学肥料を使わない農薬)など研修で得た技術の応用が増えたり、他のモデル農地を観察したりと、カイゼンへの取り組みがだんだんに積極的になってきた。
「自然に近づいた農業が出来るのが嬉しい。」と、語るのはパドマ
畑のモデル農業と有機たい肥づくりを行う。彼女のようにたい肥づくりを進める農家に感化されて新しくたい肥づくりを始める農家もいる。
昨年度から農業カイゼンを実践するB村では、その取り組みを村のグランド・デザインとしてまとめる段階に入った。

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2. オラたちの村の農業

『安全な水と土で安全な野菜を作り出す村、そして高利貸しなど外部からの融資に頼らなくても自活していける村』という目標に向けて、2020年まで村の農業を完全に有機農業にすること決めたB村。

「その目標を達成するためには何が必要ですか?」
ラマラジュさんの問いかけにすぐさま立ち上がるのは、指導員のアナンドとシマハチャラム。化学肥料の使用をやめて、村の全ての農地で有機たい肥で賄うためにはどれだけの量のたい肥が必要か、そして、そのたい肥を村のなかで生産するためには、どれだけのたい肥小屋が必要か、家族ごとの計画を細かくを計算する。2016までには、2017年までには、2018年までには、と研修に参加している村人みんなで話し合う。
「それから村を全部有機農業にするには、パンドラマヌグダ村(以下パン村)に農業に関しての働きかけも必要だね。」
B村が化学肥料の使用をやめても、流域を共有するパン村が化学肥料を使いつづければ、水や土を通してB村の農業もその影響を受け続けてしまう。現在は流域管理の技術を伝えることに注力するB村の指導員たちだが、ゆくゆくは農業への働きかけも必要になってくる。
さすがB村と筆者が感心していると、ラマラジュさんが言う。
「ちょっとだけつついてあげれば、彼らは自分たちで出来るんだ。僕たちがあーしろ、こーしろなんていう必要はないんだよ。」
今はビシャカパトナムでアドバイザーのような役割をしているラマラジュさんだが、やっぱりラマラジュさんの研修だと村人たちは活き活きとしている。

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3. これはオラたちのプロジェクト

11月某日、農業カイゼンに取り組むB村とP村のもとに、JICAインド事務所からイモト次長とウエノさん、それとムラのミライの和田代表がやってきた。イモト次長とウエノさんは今回が初めての訪問、和田代表は一年ぶりの訪問だ。3人がまず訪れたのはB村。これまでの活動を3人と共有し、質問の時間が始まる。
「どうして長い期間に渡り活動を続けているのですか?」
「オラたちの村をこういう村にしたいって目標があるからです。流域を守って、外の人に頼らず自活できる村をつくりたいんです。」

「今までで一番大きな問題はなんですか?」
「石垣をつくるときに、隣の村が反対してきたんだ。でも話し合いをして、オラたちの土地がわかるように木に番号を振って解決できました。」
「指導員になる動機は何だったんですか?」
「オラたちの村は隣の村と同じ流域にあるから、隣の村も流域を守るようになればオラたちの村の利益にもつながるんです。だから隣の村にも指導員として流域のことを伝えています。」

グランド・デザイン完成に向けた研修を続けるB村、今までやってきたこと、それからこれから目指すところ、村人たちの自信がうかがえる。
そしてP村では、農業カイゼンを始めて肥料にかかるコストを削減できたことや、農業カイゼンを始めたことで得た利益を語った。農業のために村のウシをもっと増やす計画を話したP村の村人たちに、
「どうやってウシを購入する計画を立てているんですか?」と村人に尋ねるイモト次長、
「自分たちの貯金で買います。もしどうしても必要なことがあれば、村の預金から貸出を行います。」
と答えるP村の村人。JICAやムラのミライに頼ろうなんて気持ちは、村人の頭の中には少しもないのだろう。このプロジェクトはJICAの草の根事業であり、JICAとムラのミライ(ソムニード)にとっては「多角的資源活用農法(DIFS)を通した農地利用と集水地域保全普及-発展型地域住民主導マイクロウォーターシェッド・マネージメント-」という長い名前もついている。だけど、2007年からずっと活動を続けるB村とP村の人たちにとって、この活動はJICAのプロジェクトでもムラのミライ(ソムニード)のプロジェクトでもなくて、オラたちの村のプロジェクト。

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4. 誰のためのモニタリング?

B村やP村が自分たちの活動をどんどん進めていくために、ムラのミライ(ソムニード)は、村人たちをうまくつつかなければいけない。キョーコさんやラマラジュさんが現場を空けるなかで、筆者たちは果たしてうまく村人をつつけているのだろうか?
B村で農業カイゼンの活動の一つであるモニタリングの話が出たとき、和田代表が質問を投げかける。
「モニタリングって一体なんじゃ?」
「ファイルをちゃんと管理しているかとか、作物の成長など評価しています。」
「ほう、誰がモニタリングするのじゃ?」
「グループになって、田んぼや畑を回りながらみんなで評価しています。」
「4点は「良い」で、5点は「とても良い」だが、例えば作物の出来具合で何が4点で何が5点か基準はあるのか?」
「、、、えっとー。。。」
そしてこれまで和田代表は、村で一番のおばあちゃんアパランマさんに質問をする。
「アパランマさんもモニタリングに行きましたかい?」
「あたしも一緒について行ったわよ。」
「そうかい。それでモニタリングって何じゃい?」
「。。。」

和田代表とのやりとりで、何人かの村人は「ハッ」としたに違いない。しかし、そのやりとりを見ていて村人以上に「ハッ」として、同時に冷や汗が流れだしたのは、何を隠そうこの筆者である。7月からモニタリングが始まり、回を重ねるごとに村人たちは自分たちだけでモニタリングを行うようになった。それぞれの農家たちがモニタリングで指摘された点を改善している様子も見られた。
「他の人のモデル農地を見て、お互いに学ぶことができる」
と、確かに村の青年たちは、モニタリングを通じてお互いのモデル農地から学んでいる。ただ、これは別に「モニタリング」なんて言葉を使わなくたってそれぞれのモデル農家たちが去年から実践していたこと。それでも今年からモデル農地を点数で評価することにした。その必要はあるのか?

このとき、筆者の冷や汗ポイントは2つあった。一つ目はモニタリングの項目の基準がしっかり出来ていなかったのに、そこを上手く村人たちに指摘することが出来なかったこと。そして、もう一つは、ボトムラインを考えることが出来なかったこと。つまり筆者たちは、読み書きができる青年たちがやっているモニタリングを、村人みんなのモニタリングと思ってしまっていたのだった。しかし現実にはアパランマさんのようなおじいちゃんおばあちゃんはなんだかよくわからないけど、グループに入ったから着いて回っているだけだった。ムラのミライ(ソムニード)の「10歳の子どもにも、80歳の非識字者のお年寄りにも分かるようにすること」という基本理念がしっかり守れていなかった。村人たちがみんなで現状を共有して、それからお互いに学び合うことを促すためのモニタリングが、いつの間にかモニタリングすることが目的のようになってしまっていた。

「これは誰の(ための)モニタリングだい?」
という和田代表の村人への問いかけが、その答えだった。今までのモニタリングは、ソムニード(ムラのミライ)のためのモニタリングで、または村の青年たち何名かのためのモニタリングで、ブータラグダ村のモデル農家たちみんなのモニタリングではなかった。
「これからもモニタリングを続けるか?」
「これからも続けます。」と答える青年たち。
「それなら、村の全員でもう一度、何をモニタリングするかを話し合ってごらん。みんなが理解できて、納得できて、それでシンプルな質問を考えて、わしが1月にまた来るときに見せておくれ。」

こうしてB村では、もう一度モニタリングに関して話し合いが行われることになった。現在は収穫作業に忙しいB村だが、村人たちがモニタリング項目を決めたら、次こそ村人みんなのモニタリングになるように筆者たちもしっかりとサポートできるようにしないといけない。

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5. お金の管理も大切です

村の農業カイゼン計画も決まりB村はグランド・デザイン完成に向けて着々と進んでいる。そしてその活動の一つである流域委員会の内部資金運用もその実践が始まった。家族ごとに毎月の貯蓄を行い、その貯蓄から順番にローンを受ける仕組みをつくった。流域管理も、農業も、種の貸し借りも、お金の貸し借りも、全ての活動がオラたちの村のこれからに繋がっている。そんなB村のグランド・デザインの完成は近い。
そしてそのB村の指導員たちは、新しい村で規定づくりとその具体化のための研修を続けている。そんな指導員たちと新しい村の人々の奮闘は、また次回以降のよもやまで。

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インド地域づくり募金1

 

6. 注意書き

パドマ=P村の指導員。指導員のなかで唯一の女性だが、その実力で新規の村では村人にマダムと呼ばれるようになる。詳しくはよもやま通信2部11号参照
ラマラジュさん=よもやま第一部からおなじみの名ファシリテーター。現在はビシャカパトナム市にてムラのミライ・コンサルタントとしてプロジェクトに従事。
パンドラマヌグダ村=B村の隣の村。B村の指導員が流域管理の技術を伝授中。
キョーコさん=前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、この本事業のプロジェクトマネージャー。日本での業務を終え、インドに戻る。
筆者=實方博章。現場にて修行中。

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