ムラのミライがめざすこと

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ソムニード(現・ムラのミライ)が、2014年6月に公開した総会資料の前文です。

ソムニードの新しい名前は「ムラのミライ」です

代表理事 和田信明

ソムニードは、2013年度の総会で名前を変えました。新しい名前は、「ムラのミライ」です。なぜ「ムラのミライ」かは、後ほどご説明します。ムラのミライの前身であるソムニードは、昨年来、職員、役員以外の会員のみなさまのご協力、ご参加を得て、その活動スタイルにふさわしい名前、そして活動主旨、内容に係わる定款の変更を話し合ってきました。
私たちは、この10年、国際協力とは一体何を目指すのかを、「支援」の対象である、いわゆる途上国からの視点と、そして主体である私たち自身を恒常的に問い直すことで、考え、そしてそれを活動に反映させてきました。いわば、現場から学んだ、教えられことを常に取り入れてきたのです。その過程で、私たちの揺るぎない考え方となったのは、私たちが途上国で行う活動は、あくまで彼我の共通の課題を解決する試みであり、その当然の帰結として、国内での活動も、途上国での活動と同じ比重を持たせながら行うということでした。それが活動の現場での、独自の方法論と相俟って、ソムニード改めムラのミライを新しい社会を切り拓く第一線へと立たせてきました。

定款の「目的」を変えました

ところで、最初から、そんなつもりで団体を立ち上げ、活動を始めたのではないので、私たちの活動も、次第に団体を法人化した当時の目的、定款に明文化された目的と、その内容が合わないように様になってきました。そもそも、国際協力に対する認識そのものが、当初の認識と違ってしまったので、それは当然のことでした。という訳で、今回の団体名変更では、定款に謳う団体の、目的の部分も変えるという作業を伴いました。新しく提案する、定款の第2章 目的及び事業の目的の部分はこのようになっています。

(目的)

この法人は、コミュニティと経済と環境が調和した状態の人間の営みを実現することを目的とする。
そのために、地域コミュニティが資源を維持、活用、循環させる仕組みや暮らし方を、創り出していく。
その方法論を、生活の現場での活動を通して構築し、それを担い実現する人材の育成を行う。

これまでの定款では、前文を付け、そこでこういうことを言っていました。

前文

この法人の実施する活動は、いわゆる発展途上国の農村等の貧困層、特に貧困ライン以下の層の生活の向上を図り、また、彼らが、国際連合が1966年に採択した国際人権規約に定める諸権利を、世界の他の地域の人々と平等に享受できる状態を実現すること、そして、そのための活動を通して、日本に住む我々の生活を見直すことを目的とする。我々は、この活動を、より良い地球環境と人類社会の確立を目指す活動の一環として位置づける。  

そして、定款本文でも、このように言っていました。

(目的)

第3条 この法人は、いわゆる発展途上国の農村等の貧困層の生活の自立のための自助努力を支援すること、及び、それらの活動を通して日本に住む我々の生活を見直すことを目的とする。

定款の変更された部分を見ると、まず、前文がなくなっています。そして、「目的」の文中から、「貧困層」という言葉がなくなっています。また、「生活の自立のための自助努力」という言葉もなくなっています。そもそも、「支援する」という言葉もなくなっています。
私たちが、この20年あまりの途上国における活動の中で気がついたことは、「貧困」とは問題そのものではなく、ましてや、解決すべき課題ではないということでした。むしろ、途上国のいわゆる「貧困」は、第一に、いわゆる先進国がもたらした社会、経済的構造の問題であり、第二に、先進国側から見た視点で、途上国に足りないもの、つまり、あれがない、これがないという状態を指す場合がほとんどであるということでした。すなわち、途上国の「貧困」を解決するために途上国に援助に赴くということは、言ってみればマッチポンプであり、そのことが、構造的な問題をさらに助長しないとは、誰も言えないからです。
また、「生活の自立のための自助努力を支援する」などと、随分と傲慢な態度を取っていたものだと、今思えば、冷や汗三斗の思いがします。もともとその国で、その地で何世紀も生きてきた人たちを、どんな根拠があって「自立していない」などと断じていたのでしょうか。今思えば、これも見かけの「貧しさ」からの見方でしかあり得ませんでした。何よりも、その土地にある資源、その土地にある知恵、その土地にある知恵に気づくことなく、その土地に暮らす人々を真に信ずることなく、そのころ、国際協力、あるいは援助の分野で一般的だった見方を無批判に援用したに過ぎなかったのが、改定前の定款に記された目的だったのです。

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考え方、活動を見直すきっかけはこうでした

このような見方を変える一つの大きなきっかけを、私たちが得ることができたのは、2000年の1月、ソムニードが久しぶりに催したスタディ・ツアーでした。そのとき、私たちが訪れたのが、オディシャ州南西部の山奥の小さな村。専務理事の竹内ゆみ子が、ことあるごとに紹介するエピソードが起きたのが、その村でした。その村には、南インドで初めてのケースだという小規模水力発電、植林など、1990年代後半にソムニードはいくつかのプログラムを実施しました。そのような関わりがあった村の村長が、スタディ・ツアーを引率していた竹内に、こう語りかけたそうです。「村の生活が良くなり、子どもたちも中等教育を受けられるようになった。でも、高校まで行った子どもたちは、そのまま村に帰ってこなくなる。一体どうしたらいいのだろう。」このとき、竹内は、彼我の共通の課題とは一体どういうことなのか、具体的に悟ったと言います。そして、それはそのまま、ソムニードが、彼我の共通の課題を深めていくきっかけとなったのです。

思えば、距離も文化も生活も、すべてが遠く離れた南インドの山奥の村にも、第二次大戦後日本が経験した村から都市への人口の移動という現象が、急速に訪れつつあったのです。私たちは、これを単純に、村には青年たちの職がないから、収入の手段がないからと断じます。しかし、ものごとはそう簡単ではありません。では、今仮に村に職がないとして、以前はあったのでしょうか。そうでなければ、以前も、青年たちは村から離れて行っていたはずです。そもそも、村で暮らすことに「職」などという意識が、以前にあったかどうか。日本の場合、戦後の高度経済成長、つまり経済成長率が右肩上がりを続けていた時期、村の若年人口を意識的に都市に送り出す政策を続けて来ました。その当時は、当たらざる勢いで経済成長を遂げている時期だったので、そのことが将来何をもたらすかについては、誰も考えませんでした。このインドの山奥の村も、今村長が抱く危機感が将来どのような展開を遂げるのか、果たして、日本のように過疎と極端な高齢化の道を歩むのか、予断を許しません。これは、一言で言うなら、市場経済の浸透によって起こったことですが、このメカニズムについては、私と共同代表を務める中田豊一との共著「途上国の人々との話し方」に詳しく書いていますので、ここでは細かく触れません。しかし、このように、若年人口がだんだん減っていくというのは、この村だけではなく、途上国の村では、ごく普通に見かける現象です。少なくとも、私や中田がこれまで訪れ、つぶさに観察してきたどの国のどの村でも起こっていることです。

BGvillage

「ムラ」の意味を捉え直します

一方で、私たちは、村には実に豊かな資源が存在し、当たり前のことながら、それだからこそ、村を営む、代々その豊かさを活かし、利用し、生活を営んできたのだということを学びました。しかしながら、その豊かさを市場経済に取り囲まれた、あるいは取り込まれた新たな文脈で、持続的に利用していくのは非常に難しい、というより、それを可能にする新たな技術なくしては、そのようなことはできず、できなければ、やがて村は崩壊していく。それも、私たちが途上国であると日本であるとに係わらず学んできたことです。私たちは、これに対して、ある程度有効な方法論を導入し、途上国の村で実施してきました。恐らくこれまでどこで試されたよりも最も効果的で、かつ村の持つ人的資源をも含む資源を新たな文脈で利用出来る人材の育成もできた方法であると自負しています。私たちは、2008年以来、毎年のように様々な賞を頂くようになりましたが、今年頂いた「日本水大賞国際貢献賞」を含めて、少なくともそのうち二つは、私たちが途上国の村で行った活動に対するもので、ささやかではありますが、世間的にも、私たちの方法論は認められつつあると言えましょう。

しかし、長年途上国の村で、ときには途上国の都市のスラムで活動するにつれ、私たちは、彼我のいわゆる「能力差」、今どきの言い方をするなら、キャパの違いなどどこにもないのではないか、という思いを強く持つようになりました。市場経済への「慣れ」ということでは、私たちは幸か不幸か一日の長があり、それなりの知識を持ってはいますが、それにしても、そのようなことは実に些細なことです。少なくとも、その程度のことは、人間の幸、不幸に何の関係もないと断言できます。では、彼我の圧倒的差を創り出しているのは何でしょう。中田は、それを、化石燃料を大量に消費するシステムを持っているかいないかの差、それだけだと喝破しています。さらには、金勘定に長けているかいないか、つまりは、ちゃんとコスト計算ができるかどうか、この2点に尽きると私たちは洞察しています。一言で言えば、化石燃料という偶然の産物に彼我の差の本質があると言うのです。この点については、中田と私の次の共著で、詳しく展開する予定です。

Paddy

問われるのは、私たちの暮らし方です

ところで、意外なようですが、人類はこれまで、自らの生活に基づく社会の将来計画というものを立てたことがありません。特に、そのようなものに基づいて運営されているような錯覚を抱きやすい近代国家においても、特にエネルギーの消費において、本当は、適正使用量はどのくらいか、ということを一度も計画したことはないのです。

これまでにあったのは、せいぜい、現在のエネルギー消費量が一つの社会全体でこの程度で、これまでの消費の伸び率がこの程度だから、この程度の需要が見込まれ、それに見合ったエネルギー供給を計画する、程度のものです。しかし、それは、個人の生活で本当に必要とするエネルギー消費量を積み上げたものではありません。例えば、自動車です。日本のような社会で、個人が所有する自動車は、大概、設計上5人くらいは乗れるようになっています。しかし、毎回運転するごとに5人を乗せて走るのは、乗合自動車くらいで、このような使い方は途上国には有っても、日本ではまず考えられません。日本ではタクシーでさえ、乗客一人が最も多いのではないでしょうか。私の生活を考えてみても、自動車を使って日常の用を足しに外に出かけるとき、まずほとんどのケースが、一人で運転して出かけるというものです。しかし、これがエネルギーの需要という政府の統計レベルの話になると、あくまで、5人乗りの自動車が何台、というのが計算根拠の一つになります。そんなものが、本当に私たち一人一人の生活に必要なエネルギーの計算根拠となるはずがありません。それでも、私たちは知らず知らずのうちにそのようなことを、当然のこととして受け入れています。

私たちは、「途上国の農村の貧困層の生活の自立への自助努力を支援する」などと言うとき、一体「生活の自立」とは何かという明確なビジョンを持たないとき、漠然と、現在私たちがしているような生活スタイルをするようになれ、と彼らに言っていることになります。もしそうでないなら、では、一体「生活の自立」で何を目指せというのでしょうか。ここで重要になってくるのが、私たちが途上国で活動するとき、そして言うまでもなく国内で活動するとき、自分たちは一体どのような具体的な、目指すべき社会のビジョンを持っているかということです。つまりは、途上国の農村で、都市のスラムで、そして過疎と高齢化が極端に進んだ日本の農村で活動するときに、私たちは常にそのことを自分たちに問い続けなければいけない、それ無しには、私たちの活動は結局どこにも行き着かない、ということです。

Gai

新しい定款の言いたいことはこういうことです

中田と私は、近代化以降の現在の社会は、それまでの人間の社会と明らかに断絶していると考えています。つまり、それまでの人間の社会の発展形ではないという認識です。誤解のないように言っておきますが、それは中田と私が、近代化をくぐり抜けた社会に何らかの価値判断、特に善悪の価値判断をするということではありません。ただ、そのようなものとして、とりあえず認識しておくということです。そして、私たちの言う「断絶」をもたらしたのは化石燃料という、神の気紛れとしか言いようのない偶然の産物が、大量生産、大量消費を可能にしたという、それだけのことです。このことをここで詳しく展開する余裕は有りませんが、私たちが普段感じるフラストレーションの根源、自分の満足感、幸福感まで数値化される、あるいは、本来対投資効果とか効率とかに馴染まない高齢者や障害者のケアなどまで、損得勘定で推し量られる、それを何となく受け入れてしまう、という考え方も、この化石燃料大量消費社会になって初めて生まれた考え方です。
では、現在私たちが生きている社会はこのようなものだ、という認識、すなわち人類の必然的発展段階でも何でもない、という認識からとりあえず出発するとして、私たちはどのような社会を子どもたちに残そうとするのか。これは、私たちのような小さなNGOには、手に余る仕事です。しかし、私たちだけでそのような大それたことをなす必要もないわけで、そのささやかな部分を担い、私たちの能力に合った貢献をすることはできるはずです。私たちが、新たに提案する定款における活動の「目的」は、そのような私たちの考え方の出発点を述べたものとなっています。もう一度、新しい「目的」を見てみましょう。

(目的)

この法人は、コミュニティと経済と環境が調和した状態の人間の営みを実現することを目的とする。
そのために、地域コミュニティが資源を維持、活用、循環させる仕組みや暮らし方を、創り出していく。
その方法論を、生活の現場での活動を通して構築し、それを担い実現する人材の育成を行う。

Kukura

コミュニティと経済と環境のバランスが一番大事

ご覧のように、「目的」は、三つの文からなっています。
まず、最初の文では、私たちが、ざっくりと言ってどんな社会を目指すかを謳っています。そこで述べられているのは、コミュニティと経済と環境がバランスの取れた状態で社会が成り立つ、あるいは人間が生きる世界が成り立つことを実現しようと言うことです。これをもう少し詳しく述べると、環境とは、人間が集団として生き延びるとき、つまり人それぞれの個体が、寿命が尽きるまで日々再生産されていくための資源として位置づけることができます。環境、つまり自然ですね、人間がそこから何らかの糧を得ると言った途端に、その局面では資源となります。その資源を使って、何らかの生産活動(基本的には農業です:精神的なものを含めて、人間の生存、そして主としての人類の再生産に必要だと思われるものを生産する、それが生産活動です。従って、その基盤にあるのが、文字通り肉体を日々再生産するのに必要な食料の生産、つまり農業ということになります。芸術を含む他の生産活動が、優先順位が低いといっているのではありません。農業が、例えてみれば木の根っこの部分を担っていると言っているのです)を行うことが、経済活動の基礎です。

コミュニティとは、その資源を使い、経済活動を行う主体です。その活動を行うための技術なり知識なりが、様々な形を取って集団内に蓄積されていきます。私たちが、生産活動という場合、想定しているのは、せいぜいこの7,8千年、人間が農業を営むようになってからの歴史です。それ以前は、基本的には狩猟採集が主だったわけですが、それでも、人間のコミュニティが定住を始めたのは、1万年以上は遡れるのではないか、というのが、現在の考古学の考え方です。さて、環境が提供してくれる資源として、当然エネルギーも有ります。私たちは、今、エネルギーというと、石油か原子力かガスか、それとも太陽光、風力などの再生エネルギー、つまりは、動力としてのエネルギーのことしか思いつきませんが、実は、作物に一日のどのタイミングで水をやるか、ということも、土壌にどのようにエネルギーが循環しているかを、経験知として把握していないとできないことなのです。また、植物の光合成も、私たちの生存そのものをある意味では保障するエネルギーの利用ですし、農業に必要な土壌の生成そのものも、水の流れやその他のエネルギーを利用して行われています。

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こういう「ムラ」を創りたい

近代化以前なら、このような知識を経験知としてコミュニティに蓄積していけば良かったのですが、市場経済の中でコミュニティを維持していくためには、新たに動力としてのエネルギーをどう持続可能な形で供給していくか、ということも考え、そして実践していかなければなりません。そのためにも、自分たちがどのような生活をしたいのか、そのためには、どれだけのエネルギーを必要とするのか、など、地に足の着いた展望と計画が必要となってきます。

幸いにして、私たち自身も活動経験がありますが、小規模水力発電、風力発電など、コミュニティ単位ですでに実践している例が、枚挙にいとまがないほど増えてきています。このように「小さく」産みだし、過剰なところから足りないところへ融通するシステムさえ作り出せば、自然への負荷の限りなく少ないエネルギー供給が可能となるはずです。スマートグリッドなどは、このように使われるべきでしょう。このように、新しい定款の「目的」の2番目の文は、コミュニティがどのような方向を目指し、どのようなシステムを作り出せばいいかを述べています。

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そのためには、やはり人作りが大切です

「目的」の3番目の文は、以上述べた社会のあり方、方向を目指すには、やはりその担い手が必要であり、そしてそのためには、そのような担い手を養成する必要があることを謳っています。実は、この部分でこそ、私たち独自の方法論は最も力を発揮します。なぜなら、私たちの研修を受けた村人などが、すでに研修の実施者として、知識、技術を広めているからです。それが実際にはどのようなものなのかは、各プロジェクト地に赴任している駐在員たちが、ほぼ一月ごとに詳細に報告していますので、ムラのミライのウェブ上で是非お読みください。
さて、「ムラのミライ」という名前の由来は、以上の説明で十分ご理解いただけたかと思います。いささか蛇足となりますが、さらに付け加えるなら、私たちが目指すのは、以前有った「旧き良き村」への回帰ではなく、そしてなし崩しの現状肯定でもない、新しい「ムラ」の創造です。敢えて「ムラ」と表記するのは、行政村としての「村」と区別し、また、世界中の様々な形態で存在する「ムラ」をも包含する意味も有ります。また、都市においても、地域のコミュニティを新たに創造する、そしてそれがお互いにつながっていく、そのような社会の単位としての意味も含めています。一言で言えば、これからの社会のあり方を示唆する言葉、そして私たちの活動の、「場」を表す言葉でもあります。

ボトムラインをどこにさだめるか

ところで、このような社会を目指すと言ったとき、その達成度を確認するボトムラインをどこにおくか、という問題があります。私たちは、村で、都市で、地域住民の方たちと研修をするとき、常に一つのことを心がけています。それは、研修内容が、10歳の子どもにも、80歳の非識字者のお年寄りにも分かるようにすること、です。言い換えれば、そのような方たちに理解していただくことを、研修のボトムラインとしています。それと同じように、その地域の暮らしが私たちの目指す方向に行っているのかどうか、そのことを確認するためのボトムラインをどこに置くかというのが、私たちが活動する上で重要な問題となってきます。私たちがボトムラインと設定した、その方たちが、安心して暮らすことができ、地域の一員として十全に地域に貢献できるような環境を作れているかどうか、それが、私たちが最終的に目指すことだと思っています。

私たちのこれまで20年以上の活動を振り返ったとき、この人たちが尊厳を持ち、社会の構成員として十全な働きができれば、それは社会の他の人々にも波及していくだろうと思われる人たちがいます。それは、女性と子どもです。私たちが、発展途上国の都市のスラムで、村で、人々の生活をつぶさに観察したとき、社会の不公正が集約的に覆い被さるのが、女性と子どもだということに気がつきました。それは、日々繰り返されるその生活を見ているとよく分かります。例えば、都市でも村でも、水くみは女性の仕事です。それは、明らかに成熟する以前の、少女も含みます。水道の蛇口をひねれば水が出る、そういう設備がないことが、彼女たちの日々の重労働へとつながります。そうです。これは重労働です。一日、一家が必要とする水を家へ運ばなくてはならないからです。つましい使い方をしても、最低20リットルは必要とする生活用水を、最低2往復はして運ばなくてはなりません。おそらく、水は家事の一部、そのような認識に基づいた性差による分業かもしれません。その背後には、男性は外に出て働き、一家の経済を支えるという理屈があるのかもしれません。しかし、残念ながら、この方程式は当てはまらないことが多い、大多数はそうではないというのが、私たちの、長年にわたるこの人々との付き合いの見解です。というのは、外で稼ぎ、一家の生計を支えるはずの男性が、実際にそのように振る舞う場合が、極めて低い、つまりは、稼いだ金を家に入れず、酒や博打などに使ってしまうという場合が極めて多いということを、私たちは見てきました。では、残された家族はどうなるか、それは女性が何とか稼いで養うということになります。知識や能力というよりは学歴がない(世間では単純に教育がないと言われていることですが)、そのため、裕福な家庭に恒常的にメイドとして雇われることがあれば、それは恵まれている方で、複数の家庭の掃除の仕事の掛け持ち、工事の日雇い仕事、くず野菜の籠を抱えての行商など、不安定な、そして仕事のきつさの割には天文学的に収入の低い仕事で食いつながなくてはなりません。農村でも、都市でも、男性は、女性が家事、育児の一切をやる理由として、自分たちの仕事の肉体的なきつさをあげることが多いのですが、それはとても理屈と言えるようなものではありません。なぜなら、彼らの仕事もきついが、女性も十分以上に肉体的にきつい仕事をこなしているからです。私たちは、数え切れないほど、このような例を見てきました。夫がいるのに、家族を養うために自分が稼がなければならない、あるいは、夫が逃げてしまった、など、結婚しているのに、実質的に「シングル・マザー」として暮らす女性たちがいかに多いことか。もちろん、夫である男性の方も、低賃金で苛酷な労働をする人たちが多い。それで、酒や博打にそのつらさを紛らわすということもあるでしょう。オートリキシャーの運転手、左官の下働き、大工の下働き、港の荷揚げ労働、など、肉体を酷使しながらも、仕事の安定、家族を十分養うだけの収入など、望むべくもありません。しかし、残念ながら、彼らが最底辺で、そのストレスを持って行きようがないかというなら、そうではなく、さらにはけ口として女性の存在があります。

私たちが、長年お付き合いのある、山岳地帯の少数民族の農村でも、状況はそう変わりません。少数民族は、元来社会がフラットで、女性の地位が低いともあながち言えませんが、近年、周囲の社会と同化したせいなのか、やはり、家事、育児は女性に集中しています。また、古来の風習から、複数の妻を持つ男性も多く、その場合、妻の方は、「独立採算制」になる場合が多いと言えます。言うまでもなく、山の斜面の開墾など、女性は男性とほぼ同等のきつい労働をこなします。また、山に入り、果実や薬草などを収穫するのも女性の仕事である場合が多いのです。また、文字通り、何らかの事情でシングル・マザーとなる女性たちもいます。

子どもたちは、特に思春期前までの子どもたちは、親の保護、社会の保護が絶対必要なだけに、そのような環境にない場合は、辛い生活を送ることを余儀なくされます。農家で家の作業を手伝う、あるいは、都市でも、稼業を手伝うなど、一定の条件下での労働を除いて、児童労働は避けるべきでしょう。ましてや、売春のために少女を売るなど、あってはならないことです。しかし、私たちが主に活動する南アジアには、そしてその他の地域でも、このようなことが、決して例外ではないのは、悲しむべきことです。小さな子どもが、飯屋の床で夜は眠り、朝になればそのまま起きて働き出すなどは、あまりにも見慣れた光景です。さらに、こんなこともあります。セネガルの首都ダカールにある、あるNGOの会議室の壁には、「無責任に子どもを作るな(と言うより妊娠させるな)」という、その主な対象を少年に絞ったポスターがあります。要は、ちゃんとした知識もなく性行為を行い、相手を妊娠させ、そのことに責任を取らないなど、許されざる行為なので、気をつけろ、という主旨の啓発ポスターですが、このポスターの存在そのものが、そのような若年の母親が多いこと、社会問題として認知されていることを伺わせます。このポスターは、またエイズに対する予防啓発という意味も持っています。このように、思春期の、肉体も成熟しきらない子どもたちが、病気に怯えながら、シングル・マザーとして生きなければならない場合も珍しくありません。

ムラのミライは、ことさら、女性のための、あるいは子どものためのプログラムを行うことはありませんが、ムラのミライの活動自体が、このような状況をなくす、社会の底辺から状況を変えていく活動であるという確信を持っています。一番大切なのは、このような状況と闘う力、能力です。それは、個人レベルで獲得しなければならないのみならず、コミュニティ全体で獲得しなければならない力でもあります。その力とは、上記のような女性や子どもたちのための、最初のセーフティーネットとなれるような余力でしょう。これは、単に経済力があるなどというレベルの話ではないことは、多くの先進国にも似たような事情があることを見れば、明らかだと思われます。ただ、本来社会が果たすべき役割を果たせるようになるには、まず、その基盤となるコミュニティの力こそが必要です。そして、その力を証明するのが、もっとも弱い人々への支えとなれるかどうかということです。そのボトムラインが、女性と子どもだということです。ただ、ここで誤解してはいけないことは、弱者という意味です。私たちが言う弱者とは、ハンディがあるゆえに、本来持つ能力を十全に発展させ発揮できない人々を言います。そういう意味では、上述した女性も子どもも、たくましく生きているということもできます。しかし、社会的、経済的ハンディがなければ、彼らは素晴らしい貢献を社会になしてくれるに違いありません。弱いから助けるのではなく、彼らが弱者であらざるを得ない環境を改善していく、それが本当の、開発(development)という言葉の持つ意味のはずです。

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「ムラのミライ」も社会の未来も女性が創り出します

女性が能力を発揮して支えている現場として顕著なのが、海外協力の現場です。特に、海外協力を行う日本のNGOには、圧倒的に女性職員が多い。海外の事務所に赴任する職員の大半は女性、それも20代、30代の女性です。私が個人的に知る限り、大半どころか、ほとんどは女性と言っても過言ではありません。私は、現在ネパールの首都カトマンズをベースに仕事をしていますが、ネパールで活動する日本のNGOの現地駐在員を思い浮かべてみると、みな女性です。私たちの団体、ムラのミライでも、日本人職員11名のうち、9名が女性です。

私としては、優秀な女性たちが、我が団体のような小さなNGOに来てくれるのは、嬉しく、ありがたい話なのですが、一方では、これほど優秀でこれほど優れた仕事をしてくれる職員に、十分な給与を支払うことができずに心苦しく思っています。せめて、地方公務員並みの給与と定期的な昇給を、と思っていますが、中々思うに任せません。ただ、なぜいわば安月給にも係わらず、そして、途上国での勤務は、しばしば過酷とも言える環境での業務を伴うのに、このような小さなNGOまで来てくれるのかと問えば、日本の他の職種では、女性が自分の能力を十全に発揮できる、そして、男性との格差のない環境を求めるのが極めて難しいからか、とも思われます。その意味では、NGOは、女性にとっての仕事のフロンティアと言うこともできます。そのあり方自体も、そして仕事も、これからの社会のあり方を示すオルタナティブを提供しつつあるのかもしれません。言わずもがなのことですが、フロンティアですから、自ら切り拓く限りそうであるということです。

以上、団体名の変更に伴い、今後私たちが何を目指すのか、その訳は何か、そして、そのために、私たちは団体としてどのようにありたいのかを、大まかに述べました。これからの、ソムニード改め認定NPO法人「ムラのミライ」にご期待ください。

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