「ムラのミライ」に至る問い

In 5 考え方・メッセージ by master


ムラのミライに至る問い

2014年6月に開催した年次総会プレゼンテーションのまとめです。

新しい名前に込める思い

専務理事/国内事業統括 竹内ゆみ子

2014年の秋、団体名を「ソムニード」から「ムラのミライ」に変更しました。団体の名称を変更するに至った背景に、日本も、海外が持つ課題と同じような課題を抱え込み、私たちの活動内容が国際協力だけでなく、国内に存在する課題へのアプローチを含んできているということがあります。そのため、活動の内容ができるだけ名前に現れるようにしたいという思いがあり、今回の変更に至りました。

スタディーツアーがきっかけで・・・

私は10数年前まで、国内の課題について、見て見ぬ振りをしていました。四万十川の中流にある村で生まれ育ち、村を捨てて都会に出てきた人間だったため、「村がなくなりつつある」ということを薄々感じてはいました。しかし、途上国に住む人々の暮らしの方が日本の生活よりも苦しいものだという思いで国際協力活動をしており、頭の隅には「似たような問題があるな」と感じていましたが、気づかないふりをしていました。
しかし2000年の1月、インドで開催したスタディ・ツアーが、私の目を国内に向けさせるきっかけとなりました。訪れたのは、オディシャ州南西部の山奥にある小さな村・プットシル村です。
私たちはそこで1990年代後半に、植林などいくつかのプログラムを実施していました。1999年には、ソムニード、現地のNGO、プットシル村の住民の3者共同でミニ水力発電プロジェクトを実施しました。住民に必要なだけの電力を供給するための、総電力数5キロワットという小さな水力発電所は「小鳥の声が聞こえる水力発電所」と評判になり、村人も「インド独立から50年間、将来に思いをはせる余裕は全くなかったが、水力発電所のおかげで、将来というものを考えることができるようになった」と喜びを表し、プロジェクトは大成功を収めました。
この頃、私たちの活動は現地のNGOから「村の人々と対話しながら行うソムニード方式。今までに前例がない」などとほめられるようになっていて、私は有頂天になりつつありました。そして「これほどの事業を内輪だけのものにするのではなく、日本の支援者の皆様にも見てほしい。国際協力の見本になって欲しい」という思いで、このスタディ・ツアーを企画しました。しかし、このツアーでの出来事が私を戒めることとなったのです。

村が抱える問題を理解できていなかった・・・

日本からの参加者は村の生活や水力発電を感激しながら見て回り、ツアーは順調に進みました。そして、ツアー最後のイベントである参加者から村長さんへの質問会で悲劇は起こりました。ある参加者が村長さんに「せっかく電気が点いたのだから、日本の電気製品は要りませんか」と尋ねました。村長さんの答えはこうでした。「電気が点き、村の将来を考えられるようになっただけで十分です。ただ、先進国から来た皆さんに教えてほしいことがあります。私たちは子どもたちにより良い生活を送って欲しいと思い、町の学校に通わすのだが、子どもたちが村に帰ってこない。帰ってきたとしても、学校で学んだことを活かす仕事がありません。どうすれば、この課題を解決できるのだろうか。先進国から来た皆さんに教えてほしい」と聞き返してきたのです。私は「なんてことだろう」と、天から地に落とされた気分になりました。私たちが高山で薄々気が付いていた課題を、インドで苦しい生活を送っている村の人々がすでに考え始めていたのです。参加者の誰も、質問に答えることはできませんでした。私も何と答えていいのかわからず、正直に言うしかないと「高山が抱える問題もあなたの村が抱えている問題と一緒です。だから、私たちもあなたたちを助けることなんてできないです。これから一緒に解決策を考えていきましょう」精一杯答えました。本当に恥ずかしく、穴があったら入りたい気持ちでした。

恥ずかしさをばねにして・・・

この出来事が、国際協力に夢中になっていた私の目を、高山に、地域に向けさせることになりました。地域の人々と話し始めると、過疎化が進む中でも「地元に住み続けたい」という声のあることがわかってきました。そこで、そういう人たちと一緒に活動を始めました。最初にしたのは、空き家が増えていた地区で、人と人が結びつき、3世代交流が出来る場づくりをすることでした。この活動は終了しましたが、今でも、まちづくりスポットでの活動に、その考え方を受け継いでいます。
地域で頑張っている人々が支え合い、生活向上を実感できるようにすること。そんな生活を実現することで、海外の人々にも、こういう生活をすれば、ずっと同じ場所で暮らせますよと提示できるようになると考え、高山で頑張っています。逆に、こうした生活モデルを実現できなければ、村長さんの質問には答えることができないし、村の人々とも対等な関係を築くことができない。以前の私は、国際協力をしながら、途上国の人々よりも上の立場だと思っていたのですが、気づけば下になっていました。その時に、地域の課題が国際的な課題となっていることを身に染みました。
団体名を「ムラのミライ」という、海外だけでなく国内にも通用する名称にすることで、「私たちは国内の課題にも取り組んでいきますよ」という姿勢を見せ、国際協力としてもインパクトのある活動をやっていきたいと思っています。