ソムニード(現・ムラのミライ)の基本理念と方針

In 5 考え方・メッセージ by master


ソムニード(現・ムラのミライ)が2008年に公開した基本理念と活動方針です。CIMG1297

理念と現状認識

定款に謳う特定非営利活動法人ソムニードの活動は、いわゆる発展途上国の貧困層、特に貧困ライン以下の層の生活の向上を図り、また、彼らが、国際連合が1956年に採択した国際人権規約に定める諸権利を、世界の他の地域の人々と平等に享受できる状態を実現すること、そして、そのための活動を通して、日本に住む我々の生活を見直すことを目的とする。また、いわゆる発展途上国の農村、都市貧困層の自立のための自助努力を支援することを開発と定義する。我々は、開発を、より良い地球環境と人類社会の確立を目指す活動の一環として位置づける。
このことを、国際協力活動を含む、住民参加型の地域の活動として根付かせることが望ましいとソムニードは認識している。
しかしながら、「貧困」とはあくまでも現象であり、ソムニードが目指すのは、そのような現象が起因する課題を解決する方策を模索し、実践することである。そして、ソムニードは、そのような課題が、開発途上国のみならず日本をはじめとするいわゆる先進諸国も含む世界全体に共通のものであると認識している。日本における地域の課題への取り組みが、ソムニードの活動の重要な柱と位置づけられている所以である。

ソムニードが認識する世界の現状とは

ソムニードは、世界の現状を大まかに以下のように認識している。

(i) グローバル化で象徴される現代は、大いなる可能性の時代でもあるが、また人類史上最も富の不均衡が際立つ社会である。特に最近10年、この傾向は著しく拡大している。

(ii)人間社会の3大構成要素;経済、環境、コミュニティのうちの経済が突出し、経済の土台そのもの、すなわち環境、コミュニティを著しく脅かし、この構成要素間のバランスをそこなっている。

(i)と(ii)は、表裏一体の関係にあり、特に(ii)における市場経済の突出が、先進国と途上国とを限らず、地域のコミュニティ、特に農村部のコミュニティに深刻な危機をもたらしている。
特に開発途上国の僻地の農村部では、外部からの圧力による自然資源へのアクセスの低下、市場経済への地域経済の否応なしの統合などが、十分な準備期間と保護策もなしにおこっている。したがって、この波に抗しきれないコミュニティは崩壊していき、住民は都市への実質的な難民として流出していく。それは社会の安定への大きな脅威であり、また、後に残された自然資源の荒廃をもたらし、貧困と自然の荒廃の悪循環を生み出している。05052013553

income poor とresource poor

これを別の角度から見ると、income poorではあるが、resource poorではなかった人々が、income poorでありresource poorでもある状態に陥ることである。これが富の不均衡をより深刻なものにしている。そして、都市における貧困と農村における貧困とは、相当な部分、同じコインの裏表の関係にあるとも言えるのである。われわれは、開発と言うとき、このような観点から、農村と都市を総合的に捉えなければならない。

地域コミュニティの高齢化、過疎化に対処するために

また先進国の地方社会においては、地域コミュニティの高齢化、過疎化の問題として顕著に表れている。このことが自然資源の荒廃をもたらし、自然災害による被害の深刻さを招く一因ともなっている。
ゆえに、ソムニードが当面活動の方針とするのは、コミュニティの再生、強化である。すでに崩壊しつつあるコミュニティの再生と、まだコミュニティが揺らいでいないところでは、グローバル化に伍し、新しい波とコミュニティの本来的な長所のバランスをとっていける強さを作り出すことである。それは自然資源を中心としたコミュニティの共有財産を、コミュニティが新しい社会環境の中で維持、管理、運営していく状態をつくりだすことが核となる。すなわち、コミュニティによる自然資源を中心とした共有資源のガバナンスである。
このことを通して、経済、環境、コミュニティのバランスが取れている状態とはいかなることであるかを、模索し、将来あるべき社会のモデルを構築する。そのためには、住民による新たな状況の理解、知識の取得と、住民のリーダーシップの育成が不可欠である。このことは、外部機関のわれわれにとって、地域住民との長期のパートナーシップの醸成があって、はじめて可能となる。

見えざるコミュニティの崩壊

しかしながら、この様な取り組みは、すでに時間との競争となっている。なぜなら、一見、昔ながらの強固なコミュニティが存続していると見られるところでも、公的教育の導入、市場経済の浸透などで、昔ながらの文化が明らかに失われつつあり、このままではコミュニティ、環境、経済が一体となって作り上げていた人々の関係性が崩壊することは明らかであるからである。
表面的には昔ながらのコミュニティの面影を色濃く残しているところはまだ世界の各地に見受けられるが、昔ながらのコミュニティがまだ濃厚に残っているということは、そこがこの様な危機に直面していないということとイコールではない。この様な過程があっという間に起こり、気がつけばコミュニティが跡形もなく崩壊していたという例は枚挙にいとま無く、特に第2次大戦後の日本がつぶさに体験してきたことと重なる。
そして、その崩壊の過程が、自然資源管理の喪失と重なることも、日本の明治以来の歴史や、世界の他の地域の近代化の歴史で明らかである。

すなわち、コミュニティが往時に管理運営していた資源に対するオーナーシップを失うと同時に、資源の明らかな荒廃が始まったのであり、その管理運営が国家によって担いきれないことも、同じ過程で証明されてきた。ゆえに、コミュニティによる資源のガバナンスとは、より広いユニット(広域の地方行政も含む国家)とコミュニティとで、どのようにガバナンスを分け合うかという、バランスの良い棲み分けの問題でもある。R0031365

共通資源のガバナンスにおけるポイント

さて、共有資源のガバナンスと言った場合、ポイントとなるのは、以下の2点である。

(1)限られた資源を使っていかにコミュニティの需要を満たし、なおかつ同時に資源を保全していくか。 

(2)コミュニティが、そのようなガバナンスを行うには、どの程度の範囲が地理的な広がりとしては適切なのか。

(1)に関しては、農村部では特に自然資源の利用が耕地としての土地利用の拡大に傾斜しており、そのために森林の荒廃を招き、水の枯渇を来たし、ついには土壌そのものが崩壊するという悪循環に陥るケースが多い。ゆえに、土地の生産性そのものを高めることと、土地以外の資源の活用を、総合的に模索しないことには、この悪循環を断ち切ることはできない。また、農村部で顕著なことは、キャッシュフローの不足である。農村部に於いては、都会ほどキャッシュが絶対的な収入の基盤とはなっておらず、従って、キャッシュのフローを確保することが、いわゆる目先の収入向上より優先課題となる。

(2)に関しては、(1)と関連して、森林、水、土地全てを総合的に対処するために、マイクロ・ウォーターシェッドを中心とした範囲を想定することが適当と思われる。すなわち、水源涵養地をめぐる周囲の自然環境(居住地、耕地も含む)を総合的に管理することが、必要だからである。

日本においても、昨今、地域住民の参加による道路、河川行政などが推進されつつあるが、その根底にあるのは、これまで述べてきたように、資源の管理を誰が主体となって行うのか、すなわち、行政と住民が何をどこまで互いに責任を持って管理していくのかという課題である。その意味で、上記の状況は日本においても開発途上国においても基本的に変わらない。

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